神は細部に宿る
ミースファンデルローエの言葉だと言われていたりいなかったりするようです。
確認のため、ざっと検索してみたところ「これが本当の意味だよ」という記事もあれば「いろいろ諸説あります」という記事もあります。
私自身は、諸説ある派です。
諸説あるという立場を取っておけば、私の解釈も一つの理屈として仲間に入れてもらえるだろうという、姑息といえば姑息な話です。
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解釈の一つは、一流は能力があるので作品の質を100%により近づけることができるというものです。
これは多くの方が実感することで、20点を50点にするより、90点を95点にする方が難しいのですね。
だから、細部の仕上がり具合を見ればその技術レベルがわかる、というものです。
私はこれを、本音・本質が宿ると読みます。
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芸術家でもプログラマでもいいのですが、技術者が何かを作るとき、やるべきものをやるのは当然のことです。
ましてやプロとして、それを生業として生きているのであれば必須です。MUSTです。
でも、一流の大工さんは見えない部分に技巧を凝らしたり、和服の裏地にこだわったりする職人さん・デザイナーさんがいたり、と、細部だからこそ雄弁にものを語ることを知っているように思えます。
プロかどうかを分けるのは、依頼し約束したことを守れるかどうか。
一流かそうでないかを分けるのは、 些細な部分にさえ付加価値を乗せられるかどうか。
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話を抽象化します。
一億総情報発信局である現状の日本、「解説」と名の付くものを目にすることは数多く。
一方で、それが解説に値するのかどうかは疑問符が付くことも少なくありません。
誰かのコピーなどでお茶を濁しているものは話の対象外です。議論の俎上にも乗りません。
何かの話を理解していると思っている方が、ごくごく些細な部分で未熟さを露呈していたり
本音では汚いのにそれを隠して正論を大上段から振り下ろす人も、些細な部分でその本音を吐露していたりします。
大人なんだから、キレイゴトを言うべき時は本音がどうであれそれを言うべきなんだろうなぁとは理解していても、本音のズルい部分が垣間見えると萎えてしまいます。
お化粧をするのなら、きっちりお化粧しなくちゃなぁ。
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というわけで、本音を見るには、気が抜けた日常の何気ない一コマが良いという話です。
オフィシャルな場では、理論でも気持ちでも、それなりに武装しているのが普通です。
それは、良かれ悪しかれ本音ではありません。
この技術は、何かの技術の習熟度を見るのにも使えそうです。
SECIモデルでいうところの内面化がどこまで進んだのかを推測できるのですね。
これはこういうものです、と伝えると、大概の人は理解します。
目端の利く人であれば応用も早い。
でも、どこまで腹落ち(納得し体得)しているのかは、その分野の細部に現れることが多いように思うのです。
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要点は押さえられていて当然です。
要領のいいひとは、とても手早く要点をおさえられます。
ですが、言葉だけ表面だけで納得したふりをしている人は、要領が良かろうが悪かろうが本音を隠しきれるものではないようです。
最後に、思考実験・パズルのような話で締めくくります。
ある人は、実際には納得なんてしていない。
けれど、他人が観測できるアウトプットすべてが納得している、と判断できる。
であれば、他人はその人をどのように評価すべきでしょうか?
ではでは
?