ESGは、環境への配慮・社会の一員としての企業・企業統治という三分野に分かれます。その中でもGは特に個別性が高く、それが測定を難しくしていると私は考えているので、その点について書きます。
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会計の世界では「認識、測定、記録、報告」が1セットとして考えられます。
ESGを数値化したら誰かに使ってもらわなくては意味がないので、それが報告になります。報告内容は口頭のみで行う合理的な理由がありませんのでどこかに記録されており、前年比などの分析が可能になるはずです。
もっとも大事なのは具体的な数値に落とし込む測定であり、測定するにはそれが認識できなければなりません。
Gにおける認識は、例えば外部取締役の数や比率という観点のみを言うのであれば簡単と言えます。しかし認識の段階で厄介な問題をはらんでいると私は理解しています。
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Gは企業統治という事で良いでしょうか。ESGなどについて調べたうえで何かを書いても模倣にしかなりませんので、まずは自分の考えを書いておきたいと思っています。誤りなどがあれば突っ込んでいただければ。のちに自分の考えを仮説としたうえで検証として勉強しますので。
で、企業統治です。
企業統治ができているとはどういう状態を言うのか?
「できていた」と「できている」のは違う事なのです。企業統治がうまくいった結果、業績がよかった、長期的には利益の累積として図ることができるだろうと考えます。「できていた」結果を見て判断することなのですね。一方で「できている」というのは現在進行形です。「できている」から今後の業績は良いだろう、それが「できている」。
どう考えても「できているかどうか」を判断するほうが難しい。
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なぜ難しいのかというと、対照実験ができないからです。
例えば「この戦略を実行するにあたり外部取締役を入れておいた取締役会の方が利益が出るのか否か」入れるか入れないか、入れるにしても比率や人数は?現実ではそれらの中から選択できるのは一つです。結果も一つしか出ませんから比較ができません。
もちろん評価をしなくてはならないので、それは例えば売上高成長率何%達成を目指す等、目標を達成できたかどうかが指標となります。
ところが、これは「できていた」かどうかの指標にはなり得ても「できている」ことの指標にはなり得ません。
ではどうするか?
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「企業統治」は「戦略の策定と実行」と重複する部分が多いと私は考えます。
企業は営利目的の法人であり最終的には「どれだけ付加価値を創造したのか」「どれだけ税金を納めたのか」「どれだけ株主に報いたのか」「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」が「その企業の価値だった」といえるのでは?と考えます。
それらに対して企業統治が資することができたか、その程度を測定した値がESGのGを数値化した値ではないでしょうか?
誤解を恐れず言えば、例えば代表取締役が使途不明金を使って遊んだとしても、それが企業の財政状態・経営成績およびキャッシュ・フローの状況と上記観点に影響があればクロ、なければシロと私は考えます。(この企業への影響は利益や収益のみへの影響を意味しません。企業文化や従業員への不満が募ればいずれ利益や収益に影響するはずなので、企業文化や従業員への不満も測定すべきです)
より良い戦略の策定ができ、それをより良く実行するために「企業統治できている」という土台が必要、という構造だと考えます。
では、「より良い戦略の策定・実行が「できている」」状態とはどういう状態なのか?
私は納得性だと考えます。
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同じことを言っても、Aさんが言うのとBさんが言うのとでは説得力が違うのはよくある話です。化粧品のCMではきれいな女優さんが出てきて「これを使えばああなれる」「これを使っているからあの女優さんはキレイ」とは言わないまでもそれに近いイメージを作り上げています。
経営戦略の策定・実行についても同じことが言えます。同じ戦略でも、新卒の冴えない人が言うのと、肩書もキャリアも立派なベテランが言うのとでは説得力が違うでしょう。そうなれば納得感が違いますので企業の戦略として採用されるかどうかはもちろん、実行部隊である従業員のモチベーションにも関わる問題だと思われます。
戦略それ自体は実はあまり効力はなく、そこに納得感やモチベーションの向上があるからこそ結果として現れるのではないでしょうか?
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以上
・企業統治は戦略を主とする企業経営の土台
・戦略も企業経営も企業によって違うので、企業統治も企業によって違う、ゆえに個別性が高い
・戦略の策定と実行(企業経営)においては、納得感という認識はできそうだけれど測定が難しそうなモノを数値化しなければならなさそう
という話でした。
ではでは。
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