かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

?

ESGを数値化することについて(005)~ESGと企業価値の関係~

アンケートによる調査法の問題点とその解決法を考えていても面白くないので別の観点で記事を書くことにします。

 

先日の記事では

ton96o.hatenablog.com

企業は営利目的の法人であり最終的には「どれだけ付加価値を創造したのか」「どれだけ税金を納めたのか」「どれだけ株主に報いたのか」「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」が「その企業の価値だった」といえるのでは?と考えます。

と書きました。

ESGも企業活動の一つである以上、これらのどこかに資する必要があると思われますが、改めて、ESGと企業業績・企業価値の関係を記事にしたいと思います。

----------------(‘ω’ っ )

まず冒頭の引用文それぞれが、どういう状況を念頭に置いた記述なのかを説明しておきます。

 

「どれだけ付加価値を創造したのか」とは、「(単価×売上数量)ー原価」です。顧客が支払ってくれた金額から原価を引いたもの、であり、それが企業が作ることのできた付加価値と考えます。これは「商品の購入」という行為によって明確化されます。どれだけコストをかけようが売れなければ付加価値をつけたことになりません。値引きして売れたのであれば、その値段から原価を引いた額が付加価値であったという事です。値引き前の値段は付加価値+原価の値としては大きすぎたのですね。

 

「どれだけ税金を納めたのか」とは、文字通り支払った法人税などの金額です。利益が無ければ税金も少なくなるので、この要素には「どれだけ利益を稼いだか?」という概念も含まれます。ただ、国によって税制には違いがあり、国内だけにおいても中小企業の税制は優遇されていたりはするので、その点は注意が必要だと自覚しています。

「だったら利益額で比べればいいじゃないか」という声も出てきそうです。が、私が大学で読んだアジェンダ(授業を選択する際の概要一覧)でベンチャー企業だか何だかの授業がありまして、結局その授業は取らなかったので詳しいことは分からないのですが、何年たってもそこの概要だけはよく覚えているのです。その担当教官によると「企業は財やサービスを産み出し、雇用を創出し、税を納めることが本質である」と。それがどうも頭からこびりついて離れません。その教官はご自身のキャリアから産み落とされた言葉を概要に落としているわけですから(大学生ならまだしも)素人が軽はずみに否定はできません。そちら様への敬意をこめて、「どれだけ税金を納めたのか」という表現にしています。

 

「どれだけ株主に報いたのか」株価が上がったか?配当性向はどうだったのか?という話です。株主は会社法上、会社の所有者ですから、所有者の役に立たない、所有者に金銭面で報いることができない企業って何なの?という話です。次の「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」という概念と相反するように考えられるかもしれませんが、その「支出」は企業活動をより効率的に行うための支出であって、金をばらまくことを言っているわけではありません。人間は一時的にまたは長期的にモノを所有しますが、それは役に立つから所有しているわけで、役に立たないならゴミなわけです。例えば壊れた腕時計を所有している人は、それが役に立つと思っている人はおそらくその人にしかわからない思い出があるのでしょう、それが役に立たないと思ってる人にとってはゴミです。企業価値という観点から見て、所有者たる株主に報いることができない会社は企業価値が低い、という話になります。

 

「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」これは相応の原価を使っているという話です。良いものは高いのです。世の中には質が悪いのに高いものがありますが、もちろん、そういうものにも金をばらまけば企業価値が上がると言っているわけではありません。良い人材を雇うには相応の人件費があるでしょうし、福利厚生なども充実したほうが良いでしょう。

新車を買うなど、周りに目立つようなことをすると「金回りが良いね」なんて言われることがありますが、「金回りが良い」という状況の背景にあるのは、それだけの支出ができるだけの収入があるという事です。大きく稼いで大きく使っているからこそ、まさに「金回りが良い」わけです。

そういう意味で、「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」が企業価値の観点からも無視できない要素になると考えます。

----------------(‘ω’ っ )

以上、企業価値の観点から「どれだけ付加価値を創造したのか」「どれだけ税金を納めたのか」「どれだけ株主に報いたのか」「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」それぞれを私がどういう意味合いで捉えているのかを書きました。

 

次は、それらとESGの関係について書き進めていきます。

----------------(‘ω’ っ )

Eはそれ自体が付加価値になり得る要素です。例えば2021/09/11現在ですと、自動車メーカーは「電気自動車です」というだけで今までのガソリン車よりも付加価値がある売り方ができると思われます。実際の電気自動車がどこまで環境負荷を低減できているのかはともかく、利用者は今現在においては「他と違うものを手に入れられる」という経験価値を手に入れられますし「環境負荷に貢献している」と満足するかもしれません。

 

Sは幅が広く、一概にいう事ができません。わかりやすい所では「どれだけ税金を納めたのか」はSとのつながりが深いとして良いと思われます。私は税金に関して、徴収される「公平性」のほかに、その使われ方に関する「納得性」が必要だと思っていますが、そこは仕方ない。使途に疑問があるなら大卒時点で国1に合格して財務省に行っておけばよかっただけの事です。「どれだけ株主に報いたのか」もSに含まれそうです。さらにはフェアトレードなども考えられますので「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」がSと関連が深いでしょう。

 

Gは企業運営の土台と私は理解しているのでした。

「どれだけ付加価値を創造したのか」「どれだけ税金を納めたのか」「どれだけ株主に報いたのか」「どれだけ(人件費を含む)支出をしたのか」すべてがGに含まれます。

 

以上のように、私が考える企業価値の判断基準はESGという概念に含まれる(ESGの概念が広い)ように思われます。

(また、重複して含まれる要素があるのも一つの特徴ですが、今回の記事における本筋とは離れます)

----------------(‘ω’ っ )

という事は、どのようなことが言えるのか。

 

ESG活動が企業業績と相反する場合がある。と考えます。

ESGの方が概念的に起業活動より広いとここではとらえているので、ESG活動をすることで企業業績が落ちることもある、という話です。

 

極端なことを言うと、従業員皆でボランティアとして近所のゴミ掃除をやるとします。ESGのSになるでしょうか?Eになるでしょうか?

それが就業時間に行われるのであれば業務が滞る可能性がありますし、それ以外で行われるのであれば従業員の不満がたまり巡り巡って企業業績に影響が出るでしょう。

もっと現実的な話をすれば、環境を守るのは大事だけれど企業はあくまで利益を出すのが本分です。環境を守ることに多大な出費をしては本業を圧迫しかねません。「いやいや、長期的にみれば印象がよくなって利益となって返ってくる」という反論が出てきそうですが、「かもしれない」という推測の話では壮大な社会実験になりかねません。

 

過剰なESG活動は企業活動に悪影響を及ぼしかねないのです。

----------------(‘ω’ っ )

では、ESGを数値化する観点から企業価値との兼ね合いをどう考えればいいのか?

 

私は全く別に考えてしまってよいと考えます。

 

ある程度の下心なり計算があってのESG活動のはずであって、まともな社会人が意思決定しているのであれば元が取れるようにしたたかに計画されているはずです。もちろん将来のことは分かりませんが、財政状態・経営成績・およびキャッシュ・フローの状況などは財務諸表などで公開される情報です。

ESGの数値化を行う側が、「この企業のESG活動は素晴らしいがやりすぎではないか?」と気をまわして数値を低くつけるという事は、上記公開情報と混同され、かえって客観性を損なうことになると考えます。

だから、ESGを測定する際は測定者が「過剰だ」とか「適切だ」という感情を排し、測定基準に沿った測定をすればそれでよく、その情報の利用者は「ESGの数値は良いのに利益が減っている。ESG活動に過剰投資している企業だ」などと自分で判断すればいいのですね。

 

結論としては面白くないものになりましたが、内容の整理とプロセスを書くのも価値がある行為だと思い今日はここで筆をおきます。

 

ではでは。

?