先日の記事では
エーザイさんに資料で納得いかない部分を質問しました。一般人お断りのような雰囲気があったので、回答があるかどうかでESGに関する情報開示をどのように捉えているのかがわかるかな、と思います。しかし、例え一般人お断りと袖にされたとしても、それが悪だとは私は思いません。企業ですから利益を上げるために収益の最大化と費用の最小化を図るのは当然です。相手にしないのであればそれはそれでそういうポリシーだというだけです。
一方で、即日回答いただけないという事は、「一般人お断り」もしくは「回答に時間がかかっている」という事になります。
前者であれば先述の通り、私は問題と感じませんが、後者であれば問題を感じます。
それは私の質問がエーザイさんにとって初のものである可能性があるからです。
これはエーザイさんがどうこうという話だけではなく、その主張の裏付けを確認しようとしない、資料利用者の意識の低さを示しているのではないでしょうか?
であれば、所詮茶番でじゃないですか。
ESGの情報開示なんて、適当にでっち上げりゃいいだけです。
止めてしまっても良いんじゃないですか?
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というようなことでモヤモヤモヤンとしており、先日の続きは進んでおりません。
本日は
こちら様に責任はあるのでしょうが
— ton (@ton960) 2021年10月1日
・これで責任を取ったことになるのか?
・ほかに責任を取るべき人はいないのか?
という点でひっかかりがあり。
三菱電機、柵山会長が辞任 不正検査で引責: 日本経済新聞 https://t.co/igqHrBs87h
こういう不正の原因に関するテンプレート。
— ton (@ton960) 2021年10月1日
三菱電機「現場と本部が隔絶」 調査委員会が会見: 日本経済新聞 https://t.co/0TbhJ86eCx
こういうニュースがありましたので、ESGと経営者の話をしたいなぁと考えました。
戦略と効果測定、意思決定と責任について書きます。
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ESGと経営者なのですが、全社で取り組むべき課題であることは論を俟たないでしょう。なにせ、ESGはそれ自体が企業自身の将来的な存続の大前提となる事であり、ゴーイングコンサーンの基礎となり得る要素です。部署を作ってそこに仕事を押し付けているだけなら、ESGの捉え方が少なくとも私とは違う。それならば思い切って「世論に迎合するためのパフォーマンス部署であり広報の一環です」と言い切った方がかえって気持ちがいいというものです。
そうでないのであれば、全社で取り組むべき活動であるESGは経営者・経営層が戦略を策定し意思決定し効果測定を行ったうえでの責任を持たなければならない、はずなのですね。
ここでいくつか困難が見つかります。
1)今までにない視点・時間軸の戦略を立てなければならない
2)意思決定したことに対する責任を取れないかもしれない
3)必ずしも効果測定ができないかもしれない、できたとしてもより良い経営のインセンティブにならないかもしれない
説明します。
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ESGが及ぼす範囲は遠大であり個別に分解することが難しいことが考えられます。
誰も好き好んで「環境破壊のための環境破壊」をする経営者はいないはずで、儲けとESGの両立を考えた結果、儲ける意思決定をし、結果として後に膨大なコストを支払う羽目になるのだと思うのです。
例えば石綿を考えてみてください。耐火性があり優れた建築資材でした。一方で、アスベストと言うとしっくりくると思うのですが、健康被害が出る建築資材でもあります。現在は法律でその使用が禁止されています。
想像力を働かせると、健康被害が顕在化する前まで、経営者としてはおそらく石綿を使うことが「良い経営判断」だったと思うのです。判断すら必要なく、常識だったかもしれません。ですが健康被害が顕在化するとESGの観点からその使用は絶対悪になってしまいました。そうするとその時点の経営者にできることは「どれだけ上手に負け戦を撤退するか」という撤退戦になるのです。
PL法では、製造時点における技術力で予見できなかったものは免責されます。
が、世間的にはどうでしょう。レピュテーションリスクなんてものもありますし、一筋縄ではいかないのではないでしょうか?
いかがでしょう?ESGの観点から経営判断を行うという事は、自分の任期を超えその時点における技術力も超えたものに対して経営判断を行っているという事になります。そしてインシデントが起こった場合、その影響はおそらく大きく、自分ではない誰かがその責任を負うのです。どうやって責任をとればいいのかわからない程大きいかもしれない責任を。
「私は貧乏くじを引かなくてラッキーだった」と居直る程の人なら別にどうとでもいいのです。が、そこまで100%他人に責任を押し付けられる程、人は悪党ではないと私は思っています。(多分)
じゃぁどこまで真面目なのか?とか、責任を取りたがる人はいるのか?と言われると、おそらく不真面目で責任を押し付けたいのが本音ではあるのでしょう。
真面目で誠実であればあるほど、決定できないのは何とも皮肉な話ではあります。その葛藤を乗り越えて、それでもなお決定する(=責任を負う)から意思決定は価値があると思うのですが、今回はその「責任を負う」ことができない、という話をしているのですね。
決めるだけなら簡単です。その辺の三歳児でも意思疎通ができるなら決められます。「右と左、どっちがい~い?」とでも聞けばいい。それとも猿にダーツでも投げさせますか?
実際の運用では巧みに責任が回避されているかもしれませんが、権力は責任があるからこそ意味を持つと信じます。責任を取れない事を決めている人に説得力はあるでしょうか?その戦略に納得感はありますでしょうか?
逆に、ESGが及ぼす範囲は遠大であり個別に分解することが難しいからこそ、経営陣に身が入らない事も十分考えられます。
取締役の任期は、まー、一般的に2年ですから「よーし、この二年で結果を出して稼ぐぞ!」というインセンティブが働き、企業業績(ここでは利益とでもしてください)を向上させる好循環が働くと思われます。これは企業業績が四半期ごとに出るからこそ誘発されるモチベーションだと思うのです。
ESGで結果を出したとしても、100年後に結果が出るとすれば。
まー、一般的に100年後にその人は死んでるわけで、「よーし、任期中にESGの仕事をバリバリやったるで!」というインセンティブが湧きづらいはずです。
そもそも、中長期(3~5年)のことすら見えづらいし、何か言えることがあったとしても相当抽象的なことなのに、遠い未来の事を見通して意思決定しろという事自体が無理のある話なのかもしれません。
時間軸だけでなく、特にESGの効果については複数の要因が複雑な論理をたどって結果を形成しているであろうことが考えられます。そうなるとAさんが責任を負って決定したこととBさんのそれと、どちらが影響して好影響を与えたのかという判断ができなくなります。今ESGの観点で良いことが起きているのは、いつだれが行った意思決定によるものなんでしょう?悪いことが起きているのは?
こう考えていくと、経営陣がESGに本腰を入れるという事自体、その仕組み・構造を上手く作らないと機能しないことが必然に思えてきます。
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というわけで、
・今回はESGと経営者の話
・ESGの意思決定は責任がとりづらく、ゆえに意思決定に説得力が生まれづらい
・ESGの意思決定は影響が読みづらく、ゆえに意思決定がしづらい
・ESGの意思決定は効果測定しづらく成果に反映しづらい、ゆえにより良い意思決定へのインセンティブが働きづらい
という話でした。
じゃぁどうすればいいのか?という話を考えるべきなのですが、少なくとも今日はここまででご勘弁ください。
今回の記事を書いたおかげで、少なくとも私は、「ESG経営と謳っている会社があれば、その経営陣の責任と意思決定の構造はどうなっているのかをチェックしておかなくてはならない」と改めて思いました。
ではでは。
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