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非中央集権に対する考えをまとめる話~2018年春~

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以前「ストックとは?フローとは?」という記事を書きました。

会計の基礎部分が主な内容ですが、ストックビジネスという言葉が流行しているようでしたので、ストックビジネスとフロービジネスは形態の分類であり、どちらが今の自分に合うのかは個々人で決めるものでは?と書きました。

また「自由とweb3.0、について考えた」では、皆が皆、自由を目指さなくてもいいのでは?という結論になりました。

 

今回は、特に仮想通貨の世界で流行っている「非中央集権」という言葉に対して

私の考えをまとめておきたいと思います。

 

こちら「非中央集権という欺瞞 | ALIS」を引用します。

上記記事は、運営が健全な成長を行うために、非中央集権はできない、ということが趣旨です。

皆さん、そんなに非中央集権が好きでしょうか?非中央集権が成り立つためにはその仕組みの一翼を担うだけの能力を持つことが必要です。

皆さん、そこまで覚悟されておられますか?

最後に、こう結びました。

 

非中央集権を実際に運用するには、それぞれの参加者がその組織体に参加するにふさわしい能力を持つ必要があります。

例えば、何らかの事件があった場合、合理的に考えればこうだろうという意思決定に対し、とんでもない結論を導くようであれば、それは知見が足らないと見做されてしかるべきです。

古代ギリシアではそのような状況を衆愚政治といい、批判されていました。

 

現実的に、すべてにおいて優れている人はいないはずです。

皆が皆スーパーマンになれるわけではありません。

私のように、仮想通貨の経済圏に参加してみたいけれど、利用者としてでいいかも。

そんな人は多いのではないでしょうか?

 

最近FBが非難を受けています。

しかしそれは個人情報の取り扱い・保護の観点からであって、中央集権という点では必要としている人がいるはずなのです。

私もグーグルがなくなれば困ります。

 

では、現実的に、巨大になった非中央集権と言われる組織体を運営していくにはどうすればよいのでしょうか?

一応、私なりの解はあります。

階層を分けてしまうのです。

 

具体的には、

1)その組織体と運命を共にする運営

2)その組織における詳しい知識を持つ集団

3)利用者

その組織体における利益は1)>2)>3)の順に多く、

当然リスクも1)>2)>3)の順に多くなります。

組織体からの離脱が簡単なのは逆順です。

 

全員が全員同じだけの権限を持ってしまうと、必ずフリーライド(メリットのただ乗り(経済学用語))する人が出てくると思うのです。それは0にはできない。であればどうするか?

思い切って階層を分けてしまい、組織体にコミットする人たちには権限と利益・リワードを与えるほかない。その量は組織体にコミットする人たちが、フリーライドする人たち、口だけを挟む人たちが気にならない程度。

こうでもしないと成り立ちません。

逆に言えば、今、非中央集権と言われているものは、多かれ少なかれそのような様相を呈しているはずなのです。それが公に明示されないのは3)の利用者に非中央集権組織に参加している、なんだか崇高な事をしている感触を残したいからではないでしょうか?

 

裏を読みすぎかもしれません。

しかし、特に大きく外していないと思うのです。

 

その状況では、運営は売り手であり、3)の利用者は買い手、もしくは従属者です。

決して対等ではありません。

そして、ここが多分重要な点ですが、3)の人間は大きな権限を受け取っても困ると思うのです。知識も判断力も、意思決定に参加したいという気もありません。

責任をとりたくないと思うのです。

あくまで外野から、利用者として口を挟むくらいが良い。

 

それが特に悪い事だと、私は思いません。

 

逆に、3)の利用者なのに、特に権限がないのに、意識が高い方はコミュニティによっては搾取される対象になっているのかもしれません。

 

ある組織が非中央集権であるためには、参加者にはそれ相応の能力が要求されます。

なのに、コミュニティが開かれているのであれば、それはお勉強で仕入れる非中央集権の体を成しているとは言い難い物のはずです。

参加者・利用者であることを自覚して楽しみましょう。

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