ゴーン氏の事がありガバナンスが取りざたされてはいるが、組織形態によっては中央集権が良い場合も当然ある。制度はどちらかの体制ではなく、変化・適応させやすいやり方を示すべきかと。
— ton (@ton960) 2018年12月28日
社外取締役、非上場の大企業も義務化 会社法改正案 :日本経済新聞 https://t.co/rIkkr6SMp2
英語でカッコよく言うと、コーポレートガバナンスと言います。
ゴーン氏のことがあり、また、仮想通貨による「分散」というキーワードの浸透もあり、コーポレートガバナンスにより権力の集中に歯止めをかける流れができていますが、それだけではないんじゃないかな?という話をします。
権力の集中は、現象です。
良いところと悪いところがあります。
良いところは、物事をスピーディーに進められるところです。
私は日本の戦国時代が好きなのですが、項羽と劉邦という漫画くらいは読んでいます。
その頃の中国における戦闘は、指揮官の影響が極めて大きく、強力な影響力を持っていたのですね。
短時間でスピーディーに意思決定をし、実行する。権力の集中でそれができるというよりは、それらが必要な時には権力を集中させるスタイルが適していると考えます。
権力の集中の悪いところは、組織の限界が集中した個人に影響されることです。
先ほどの例で言いますと、指揮官が優秀であれば全体が優秀になりますし、イマイチであれば、全体もそれにならいます。
また、このスタイルでの戦闘における指揮官の死亡は致命的なものとなります。
すぐにサブリーダーが全体をまとめ上げられるかというと、そうでもない事の方が多い。
権力の集中というと、欲にくらんだ人がお金や権力をもってゲハハと笑っているイメージですが、一方で、集団全体の能力を決めているのは自分である事は事実なのです。
結構なプレッシャーだと思います。
けいえいがくタグをつけているので、ビジネス的な具体例を出すと、権力の集中が適するスタイルはベンチャー企業です。
ベンチャー企業で、いちいち突っかかってくる社員がいるとどうにもやりずらくて仕方がない、、、らしいです。
むしろ、自分の考えに共感し、一緒の目的に対して邁進してくれる、言い方に気を使わなければいわば「信者」が欲しい。
片腕となる人物も、ブレーキ役であるというよりは、阿吽の呼吸でトップのやりたいことを進めてくれる人の方が適しているように思います。
ま、起業したことないのでわからないんですが。
なるほど、と。
でも、それで権力を集中させていると、やっぱり不正が出てきてよくないことが起こるんだろう?と。
それはその通りで、私が説明するまでもなく、ニュースになっている通りです。
会社の私物化が行われるのですね。
経営者は基本的に、企業の経営という仕事を株主から(株式会社を前提とさせてください)委託されている役割です。
だからIPOや増資、新株の発行によって、自分以外の資本が入ってくるようになると、自分以外の株主の利益のためにも行動しなくてはいけなくなります。
いままでやりたい放題だったものが変わるのですね。
ここで、法律などの規制の話に移ります。
それはイカンだろ、という事で、法律が策定されるわけです。
しかし、それはそれで悪い点もあります。
社外取締役などを義務付けてしまうと、コストがかかるのですね。
「そんな、お給料をたくさんもらってる人たちの間の事でしょう?庶民には関係ないよ」
いやいや、そうでもないのです。
内部牽制機能を持つ仕組みを義務付けたことによるコスト、というものは、何もそれにかかわる人の人件費だけではありません。
意思決定から実行に移すまでの時間が長くかかりますので、時間的なコストもかかるでしょう。
社内向けの業務が増えます。これは自分のやろうとしていることが価値があることを知らしめるためのもので、直接的に企業に価値を与える事ではありません。
そこにコストが発生しがちです。
恐らく多くの方が聞くと嫌な顔をされる「行き過ぎた官僚制」の悪い部分として良く上げられる部分です。
そのコストを最終的に負担するのは誰か?
我々消費者であり、一般市民なのですね。
権力が集中してもダメだし、内部牽制が行き過ぎても良くなさそうだ、と。
じゃぁ、どうすればいいのか?と。
私なりの答えは、一般通念上、どう考えても大きな組織には内部牽制機能を義務付ける、というものです。
例えば、年商1200万円の零細企業であれば、内部牽制企業はぜいたく品・邪魔でしかありません。
年商12兆円の会社であれば、違うのではないか?という事です。
先ほど説明したように、権力の集中はそのリーダーに「何もかも押し付けている」とみる事も出来ます。また、リーダーの死は組織の死です。
大きな会社では、部下のモチベーションなどと言うキレイごとではなく、次世代の育成と分業・専門性の高度化、リスクマネジメントという観点から、権力を集中させていることの方がおかしいのです。
大きな会社だと、多くの業務があります。それらを一人で回せますか?という事なんです。
人間だれしも、いつか死にます。明日交通事故にあって死ぬかもしれません。その時、この大きな企業は「トップが死んだから解散」、それでいいんですか?という事なんです。社会的にもかなり影響は大きいでしょう?
では、その、境界線をどこに置くのか。「一般通念上、どう考えても大きな組織」とはどのような組織なのか。
それは今後も変わり続けるでしょうが、言えることは一つあります。
規制で義務化されたら、それはもう、黒だ。やらなくてはいけない。
昔、テレビはアナログという方式でした。映るか映らないか微妙なものでも、うっすら映像が映っていました。しかし現在のデジタル方式では、かっきりと「映る」状態でなければ映りません。
それは昔のあいまいな「映ってなくはない」状態を排除した状況になります。
規制についても同様です。
規制を作る側も、それがコストのかかる事だとわかっているはずなのですね。
だから、内部統制機能を義務化された、という事は、先ほどのテレビの例えでいうのであれば、デジタル方式で「映る」と判断された、と同義なのです。
もう、それは、やらなくちゃいけない事なんです。
効率に関しても、そちらの方が、おそらく良い。安全性を担保できますから。
では、あいまいな部分、零細とまではいかなくても、それなりの規模の会社ではどうなるのか?
そこで不正が起こりやすく、法令違反と言えない問題が起こりやすくなるはずです。
そして、いわゆる「当局」は法律に違反しているか否かでしかものを言えないと思われるので、指導をする事ができない。
結果、あいまいなところでは権力の集中化が行われ、一方で仕事の分散化が行われるという、アンバランスな状況になると考えます。
平成26年改正会社法
コーポレート・ガバナンスの強化に関する主な改正の概要と施行後の状況
というものがあったので参考までにリンクを張っておきます。PDF注意です。
改訂コーポレートガバナンス・コードの公表 | 日本取引所グループ
こちらもどうぞ。
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