マーケティングはまったくもって専門外なのですが、PRや広告関連の話を書きます。
核は、本質や根幹の意味ではなく、ABC兵器のAです。軍縮の目玉になる物騒なアレです。
つまりアフィリエイトは誰も得をしていないんじゃないかという話しを書きます。
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「ということは、核は誰も得をしていないということが前提か?」
そうなります。
原子力発電所はまだ賛否ありますが、現実問題人間が生きていく電力量を考えると使わざるを得ないはずなんですよ。原子力発電所に反対する人は代案を出せるのか?そしてそれは現実的なのか?というと、どうなんでしょう?
私の認識が間違っているようでしたら教えてください。是非。
なので、誰も得をしていない核というと、核兵器になります。
あれにはお金もかかりますし、ウッカリミスを無くすための継続的なコストもかなりのものだと推察されます。でも、対応に外交するためには必要というのが建前ですよね?
実は保有国も「周りが無くせばうちも無くすことができて良いのにな」なんて思ってませんかね?
昔、沈黙の艦隊というマンガがありまして。
当時子供だった私にはさすがに難しい話でしたが、子供なりに理解するとともに何度も反駁し大学生になってからは漫画喫茶などで読み返し、一つの理屈ではあるようなぁという結論に至った話です。
あらすじは、一隻の最新原子力潜水艦がその圧倒的な性能と優秀な船員と船長の能力をもって、世界の警察となり各国から武力を無くし世界平和を実現するというものです。
(そういう理解をしています)
(面白いので興味を持った方は漫画喫茶にでも行って一気読みしてください。2020年初夏現在だと厳しいですか?)
軍隊にはお金がかかりますし、こういう世界もありなわけです。
実現可能かは知りません。そのあたりは漫画ですから「マジになってどうすんの?」と思います。
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話をアフィリエイトに移します。
アフィリエイトはご存じの方もいらっしゃるでしょう。広告です。
ブログなどに広告を張って、そのブログ経由で商品が売れたらブログを書いた人などにお金が入るという仕組みですね。
2020年初夏現在、私が認識しているところだと「お悩みを言語化し、理想の姿を想起させ、それを解決する商品を紹介。さらに詳しくその商品を紹介する」という流れが典型的だと思われます。
例えば「時間を有効に使いたいけれど、洗濯物って洗った後干すのが面倒。全自動洗濯機なら乾燥までやってくれてあなたの時間は大幅に増えます。さぁあなたも乾燥機付き全自動洗濯機を買いましょう。今回紹介するこの商品は当社比二倍、汚れ落としに拘りました。」こんな感じ。
これって、ブロガーなりユーチューバーなりがTV局などになっているのと同じ構図なんですよね。紹介している商品の悪いところは言えない、だから中立的ではない。
私もアマゾンのアフィリエイトを使って本を紹介していますが、中立的に本当にいいと思うものを紹介しているつまりですし
こちらの本は、 アフィリエイトのリンクを外しています。
本の内容が「AIに負けない人間になるには意味を理解することであり、その教育が必要だ」と、著者自身が印税をそちらの教育に寄付するらしいのです。
私はその考えに非常に共感しました。アフィリエイトで頂いたお金のこの本分をそちらに寄付するというのも一つの手立てですが、まどろっこしい。というわけで、そもそものアフィリエイトを外しました。
ですが、これだと、多分アフィリエイトで入る分だったお金は、その教育に届かないのですよね。
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・アフィリエイト報酬は宣伝広告費として売価(定価)に含まれている
・だから買い手は間接的に広告費を負担している
広告費、無い方が買い手としては安く買えるわけですから良いと思うんです。
広告費、無い方が売り手としては余計な気を使わなくていいので楽だと思うんです。
そうじゃないんですかね?
先の例に出した本だと、広告宣伝費分、アフィリエイトに持っていかれるはずだったお金を教育団体への資金に拠出できるわけです。
そちらの方が社会的に有益だとおもうんですが。
「アフィリエイトがあるから本が売れるのだ。お前がこの本を知ったのも広告があるからだ。売れてるから知ったのであれば認知度を向上させるのも広告の大きな目的だ」
仰る通り。広告があるから、売れた。それも事実だと思います。
内容が良けりゃ売れる。それは幻想だとも思います。
広告の世界で生きている方を批判したいわけでもありません。人間の心理というあやふやなものを上手く管理している手腕は、素晴らしいものです。
だからと言って、アッチもやってるからコッチもやるぞ、という競争が現状行き過ぎているように思うのです。
広告なんて相対的なものですから、広告費は吊り上がります。
(世の中に同じ役割を果たす同じような商品が二つあってWEB広告を打つとします。広告で購買量が決まるシンプルなモデル。広告費の比率に応じた確率でWEB広告が読者の目に入るとすると、相手商品より一円でも多く支払うのが広告戦略としては合理的です。)
この辺りが核に似ていると思いますし、この記事における核です。
もちろん赤字を出すのは基本的によろしくないので、元は取れるように価格を設定します。先述の通り、買い手が広告宣伝費を間接的に支払っているという状況です。
「その値段で買っているのだからその値段分の価値だと判断したのだ」
それは欺瞞です。
本がわかりやすいのですが、読むまで価値判断なんてできません。何回も読んで初めて価値が分かるものだってあります。価値判断ができないものも買われます。
買うときに価値判断ができているわけではありません。期待が多分に含まれています。
そして、消費者の判断力がそこまでなく情報の非対称性を利用したセイリグもちょくちょく目にします。
そしてアフィリエイト目当てのブログ記事も乱立します。内容のあるものだと社会全体にとって良いのですがコピペしたようなもので大概埋め尽くされます。
アフィリエイトのための付け焼刃なもの、広告主が指定したアピールポイントをそのまま鵜呑みにしたもの。
良いんですかね?これで。
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今回のアフィリエイトの具体的な話は書籍を例にしましたが多くのサービスにアフィリエイトという仕組みは根付いています。例えば金融機関であったりクレジットカードだったり、ダイエットサプリだったり。皆が皆、全ての商品に詳しいわけではないので、誰かの紹介を経て購入に至るというのは自然だと思います。
その紹介をした人に何か見返りがあってもイイのではないか?という話しにも賛成です。見返りがあってもいい。
ですが、現状のアフィリエイトありきのWEB業界というのは、体を大きくして氷河期を乗り切れそうにない恐竜のように思えて仕方ありません。
少しずつ温度を上げて一気に沸騰するお湯のような。少しずつ値上げをしていって一気に消費が落ち込み、内容が良くても誰も買わない値段になるような。
では、アフィリエイトを無くすことができるかというと、全てがチキンレースを行っている状況なのでできそうにありません。 買い手が損をしないためには自分でアフィリエイトを踏んで、自分で買うという方法しかないかと。
そしてこれは核兵器を抽象化した各国の軍事的な牽制にも同じことが言えるのだろうと思います。
ではでは
?