確かにESGやD&Iは耳に心地よくウケが良いです。マーケティングの手法として理解します。
— ton (@ton960) 2021年9月6日
実際は、ESGの特にSGなんて個別性が高く測定できないし、D&Iの数値目標は経過措置でしかなくあるべきはその役職における能力があるかどうか(それを見極め納得できる組織なのか?)だと思います。
こういう話をすると
https://twitter.com/hirosetakao/status/1435123534586650627
はい。測定できないところにビジネス・チャンスがあります。それを数値化する人間に、あなたがなればいい。
こういう話になりまして。
そうですね。伊藤邦雄先生等人任せにしてはいけませんね。認識し測定でき他人が納得のいく数値を出せれば、今までM&Aにおける「のれん」としか出せなかった部分を独立した状態で株価の理論値を算出できると考えます。
— ton (@ton960) 2021年9月7日
と、こう返答しました。頑張ってみます。
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本来は昨日(2021/09/07)のうちに一本でも記事を上げたかったのですが、考えれば考えるほどこんがらがりまして。また、ESGやSGDsの定量化は数多の賢人が手掛けている事でもあります。
今から学習するのは後追いでしかありませんので、自分なりの「こうすればどうだろうか?」という仮説を立てつつ、それを補強・改善する意味で勉強する、というサイクルを回していければと思います。
というわけで今回は、そもそもの「定性情報を定量化」するにはどうすればいいのかを考えていきたいと思います。
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定性情報とは、赤いとか黒いとか、男だとか女だとか、そういう話になります。定量情報は数値情報ですので、現状、数値に直せない情報とされています。
「ESGがどの程度できているのか」という情報は典型例だと私には思えます。
環境への配慮については(ネット)ゼロカーボンが主役となっています。これだけではないでしょうが、私は今はそれでいいと考えています。
いつか、大まかな全体がそろう事を目指して、何とか定量化できる部分から定量化していけばいいと考えるからです。
ということは、現状、ESGを数値化しているようでそれはあくまで暫定値であるという事になります。
S「社会」の範囲は広く、コーポレートシチズンシップという、企業も社会の構成員の一員であるという考えがあります。企業の社会性や社会的影響力をどのように認識し測定するのかはなかなかに難しい事です。
G「ガバナンスであり企業統治」に関しては個別性が強いという理解をしています。例えば、危機的状況にある会社では卓越したリーダーが専制君主的ともいえるリーダーシップを発揮する土壌が必要です。そこでは「自分が働いた証を残すためにツッコミを入れる」外部取締役は邪魔でしかないのです。一方で、落ち着いてきた状態であればガバナンスは必要です。権力は腐敗するものらしいので。
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「難しい」と、嘆いているわけではありません。こういう課題を一つ一つつぶしていけばESGの数値化は可能だと言っているのです。
引き続きどのような論点があるのか、基礎的で一般的な「定性情報の定量化」という観点から考えます。
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「定性情報の定量化」をまともに考えると、達成しているかどうか、数値に直せば「0か1か」ということですら、なかなか難しい事だと改めて気づかされます。
合格ラインを決定することだからです。
主に二つの点で難しいと考えます。
何らかの指標で企業を順番に並べることはできるのかもしれません。そこで、合格ラインをどこにひくかという話になります。そこには「数値化されたESG情報」を利用する人が納得できる、いわば一般通念・常識、またはコモンセンスが必要になってきます。ある人は「100点満点中70点で立派」ととらえるかもしれないし、別の人は「80点を超えていなければ許さん」と捉えるかもしれません。
もう一つは「権力と政治」です。合格点に1点届かない企業が「数値化されたESG情報」を算出する主体に何らかの工作を行ってもおかしくありません。達成していないというだけでアクティブファンドからネガティブスクリーンにかけられて投資してもらえないかもしれないのです。また、主体が企業に何らかの感情(もしくは勘定?)がある場合、少しだけ手心が加わる、、、その可能性を考えるのは人間として自然なことでしょう。(大好きな企業が1点足りない場合、、、、甘めの判断をしてもおかしくありません)
時代とともに変化する一般通念と人間である限り無くせない感情。これを解決することはなかなかに難しそうです。
「数値化されたESG情報」は総合評価を出すと誤解を生じやすいと思われます。「どういいう観点では何点か?」という点を誠実に算出して、重みづけなどは利用者に任せるという使われ方も一案だと考えられます。
例えば、ESGという総合評価で80点と評価を出すのではなく、Eは60点・Sは90点・Gは80点という情報だけを出します。個々の利用者は重みづけを自分で行います。ある人はEを重視するため50%の配分、あとは半分ずつで72.5点とします。別の人はSが全てを包括すると考え、Gの評価は当てにならないと考えるためEに10%Sに90%割り振って87点と理解します。
(今回は簡単のためEは何点、Sは何点、、、としましたが、実際はEやそれぞれの構成要素別に点数を算出する必要があります)
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「定性情報の定量化」から少し離れた「合格ライン」の話でした。話がずれているように感じる方がいると思いますがグランドデザインの設計としては大事だと思われます。
「ESGを数値化する」というと、自分を権威としたがる人が多いのではないでしょうか?それでは健全性が保てずその数値に信頼性がなくなり自分で自分の首を絞めています。
「定性情報の定量化」を意識して具体例を出します。
ある俳優さん・女優さんの点数をつけるとします。これを読んでいる方ならどのように行うでしょうか?「いろんな演技ができる人は高評価?」「知名度が高いと高評価?」監督やディレクターだと「ギャラが安ければ高評価?」になるでしょうし、スポンサーだと「影響をギャラで割った値が大きいほど高評価」になるでしょう。
別の具体例。野球選手だとどうでしょう?「速い球が投げなれると高評価?」「被ホームラン率が低いと高評価?」「打率が高いと高評価?」「出塁率が高いと高評価?」「OPSが高いと高評価?」
ここまで書くと私がしようとしていることがご理解いただけると思います。
情報を使う人によって、評価は変わります。また、すべて100%を数値化することはできなくても、対象の構成要素のうち大きいものから何とか数値化していけば、欠陥があろうとも使途が限られようとも、評価指標として成り立ちます。
野球の世界では、ある金欠チームが出塁率などのデータを利用して、他のチームが注目していない指標が高い選手をとって好成績を残したのは有名な話です。
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というわけで
・定性情報であっても構成要素を分析すれば、大きなものから定量化することで「その定性情報を定量化した」と言える可能性がある。何らかの状況で使える可能性がある。
・総合的な判断は利用者に任せるのが良いと信じる。格付けを出すのではなく、どういう観点の情報をどういうプロセスで評価して何点と算出したかを明らかにする。その個別観点別の数値を提供してESG評価の数値化とする
とりあえず今日はこんなところで。
ではでは。
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