かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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翻訳というものについて考えた

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先日「仮想通貨ニュース 2018/04/04」にて、記事内容からは、ONT / オントロジーの意味が全く分かりませんでした。

他の方は、スッと頭に入ってくるんでしょうか?

結局オフィシャルを見て、英語で読んで理解して、自分はこう理解した、と書いたのです。

今回は翻訳について考えます。

 

翻訳と聞いて、皆さん頭に思い浮かべるのは、いわゆる同時通訳でしょうか?それとも英文和訳のようなもっと身近なものでしょうか?

確かに言語として違うものを、日本語に直すことは翻訳だと思います。

この場合、特にドラマやお笑いで、どう邦訳すればよいかという点が問題になったりします。土台となる知識が違うし、言い回しで笑いをとってたりする場合、うまく翻訳ができないのですね。

ここで、その意味合いだけを辞書的に、逐語訳するのは、レベルが低いことに気づかれると思います。

翻訳で重要なのは、想念の移転であって、言葉そのものはそこまで重要ではないのです。

 

例えば「狭いながらも楽しい我が家」というキャッチコピーが流行ったときがあるそうです。そしてそのコピーは実はアメリカからもたらされたと。アメリカでは「暖炉がある、家族がいる、それだけでなんとも穏やかな楽しい日々」という意味合いの文章だったと記憶しています。

これら二文は、それぞれ全く異なる文章ながら、それぞれの国の事情を加味したうえで、家族と一緒に穏やかな時を過ごす幸せを想起させます。(日本に暖炉、無いでしょう?)

 

また、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち、を読むべきだという話」では、数学担当が「数学の問題分を数式に翻訳した」と書きました。

これも翻訳です。相手(この場合コンピューター)に伝わらなければ意味がないのです。

 

お分かりですね、

技術的な解説書を、技術者相手にではなく一般大衆に翻訳するということは、単なる邦訳ではなく、技術的な事も加味して、一般大衆にイメージを想起せしめる文章を書くという事だと思うのです。

決して、逐語訳しただけでOKという簡単な仕事ではないと思うのです。

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