かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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価値主義経済がある未来の話

先日こちら様にコメントしました。 

7分前後のところで「価値主義ってなんでしょうね?わかってる方教えてください」という話が出ていました。

私は「わかってる」人間じゃないのですが、 こういう風に考えるという私見はあるのでそれをコメントしてみました。

 

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内容がこちらになります。

初めまして、tonと申します。
価値主義の点についてコメントです。

私は
資本主義も価値主義の一つだと考えます。
そして、価値観は人によって違うし時期によっても違うものと考えます。

例えば、20歳の私が「ポストは詰まっているし給料は上がらないしプライベートが充実していればいいや」と考えていても、30歳の私は「結婚もしたし子供もいるし、稼がなくては」となっていることは大いにあります。
なので、その時に応じて自分は何に価値を感じるのかを明確にして、自分を置くコミュニティを選択するのが未来の姿なのかなぁ、と。
将来は「バリバリお金を稼ぐコミュニティ」「給料は安くてもまったりできるコミュニティ」「テレワーク100%、これだけは譲れないというコミュニティ」と、細分化されるように感じます。
上記は仕事ベースで書きましたが、趣味やその他においても価値観に応じた分断は起きそうです。

その際に必要なのが、先述の通り、自分の価値観を明確にする事かなぁ?と思います。
それは自分が生きていくうえで優先順位をつけること、何は譲れないのかをはっきりさせることだからです。
価値観が同じところにいれば居心地もよさそうですし、物理的に離れていても技術的につながることはできます。
同じ価値観の人同士でコミュニケーションをとったほうが人生は豊かになれる気はします。
価値観が変わっても行き先がある世の中の方が、豊かな世の中だという気もします。

自分が価値観を明確にしているかと問われると疑問符が付きますし、価値観を明確にすることに対してガツガツしない良く言えば自然体の価値観もあっていいと思います。
最後に、ですが。お金は今でも広く物事を測る一つの尺度として有用です。資本主義が価値観として縮小することはあっても転覆は考えずらいと思います。

正直、他の方が一言二言のコメントの中で異彩を放っているようです。

しかし、これでも、他人様のテリトリーだから遠慮した方なのです。

 

今回はこちらを題材に、私が何を考えているのかを書いていきます。

資本主義や経済など、漠然とした用語は特に調べずに書いていきますが、どういう意味で使うかは書いていきます。考える流れの前提は説明していくつもりです。

 

また、こちらの動画で題材とされている本は特に買わなくてもいいのかな?と思います。KINDLEだとUNLIMITEDで読めたように思いますしどうしてもというのであればオークションアプリで落とせばいいかと。

 

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さて。

いくつか論点はあると思いますが、まず。

資本主義も価値主義の一つだと考えます。

こちらについて。

 

資本主義というのは社会主義の反対、というのが私の理解です。

資本主義はごくごく当然の効率を追求した結果産まれた、一般的な経済です。

「それではいかん」という声で生まれたのが社会主義です。

野球において、ナイトゲームができる前までデイゲームが全てであったように、社会主義ができる前まで資本主義が経済の全てだったと考えます。

価値主義というのは、資本主義が全てであったところから社会主義という名前を付けて新しいものを抜き出したのと同様、今までの経済と違う部分に着目して作られた造語ということになります。着眼点は当然「価値」です。

このように書くと、先述の社会主義との対比から価値主義は資本主義の一部のように受け取られるかもしれませんが、私の考えとは違います。

 

それを前提として。

 

価値主義というのが価値に重点を置くという話なのであれば、資本主義経済でもそれは実現しているはずです。

私が100円を出して買うパンは、味や栄養、腹持ち等の価値・効用に対し対価をお金で支払う経済だからです。

 

「南極で氷を売れ」などという主張もありますが、それはセリングにおける腕を磨きましょうという主張です。セリングはマーケティングの一部であってむしろ今後は減少させていくべきものです。営業職の方が「私は南極で氷を売れるほど営業力がある」もしくはそれだけの成長を目指す、というのはある意味頼もしいように感じます。

しかし、それは一歩間違えれば、押し売りであったり詐欺であったり自爆営業を助長する結果になりかねません。

だから、氷が必要であればそれはそれでいいのですが、売れる(売りつけている)とすれば、それは氷の一般的な効用(冷たい等)以外を売っていることになります。

広い視点で見るのであれば、やはり、南極にいる人に売るべきものは「南極にいる人が必要とするもの」であるはずなのです。

 

というわけで、資本主義経済でも価値に対してお金を支払っているのだから、むしろ価値主義が土台になっている、といえそうです。

 

逆に言えば、価値主義は現在の資本主義で拾い切れていない部分に対する経済を回すことが可能になるかもしれません。

 

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どういうことかを説明します。

 

経済とはという私見を軽く書き、現在の資本主義で拾い切れていない部分について触れ、それが成立している状況について書きます。

 

広く、経済とは、二人以上で行われる効用と対価の交換だと考えます。

一人ではおそらく経済とは言わないのですね。パンの例を出すのであれば私がパンに乗せられた効用を受け取り、パン屋に対価として100円を支払う。これが経済です。パン屋はパンを作らなければなりませんし、私はおそらく別のところで100円を稼がなくてはいけません。これも経済です。そしてこれは何かの経済学の本で書いてあったのですが、限りある資源を効用が最大化するように配分することを研究すること、だそうです。記憶です。そしてこれは経済ではなく経済学になるのかもしれません。

(注意すべきは、上記の交換が活発であれば経済が活発だということはできますが、それが良いことかどうかはわからない点です。消費のための消費は浪費ですし、機会損失を減らすための余分な生産や仕入れは部分的には合理的でも全体的には非合理的な行動です)

 

何かをもらう、してもらう、それに対する対価が支払われる。

交換が成立しているということになります。

逆に言えば、それが成立していなければ現状の資本主義で拾うこと(認識すること)は難しい。

 

例えば、純粋な親切心から出た行為に経済が成立するでしょうか?

小さい子が転んでいたら、手を貸しますよね?

老人が困っていたら一声かけると思います。

外国人が「エクスキューズミー」なんて来たら、日本人ですし、なんとか力になれればいいな、と思います。

対価は別にいらないのです。

が、一般的な人であれば、感謝の言葉を述べるでしょう。

対価という言葉を使うのは低俗な感じがしますが、それが対価といえば対価です。

 

もう少し、たとえ話を価値主義経済に近づけます。

誰かがTwitterで困りごとをつぶやいていた、と。わかる事だったので「こういう事らしいですよ」と返信した、と。

「いいね」が付いた。

これは別にYOUTUBEのコメントでも同様です。

現在だと「いいね」は気軽な感謝のしるしとして使われるのですね。

 

現在スコアリングが流行っていますし、中国ではセサミが大きな勢力となっています。

ton96o.hatenablog.com
ton96o.hatenablog.com 

ton96o.hatenablog.com

承認欲求の表れとして語られることが多い「いいね」ですが、上記のように「感謝のしるし」と「それを計測できる技術」が上手く掛け合わされれば、新しい経済が生まれそうです。

 

すなわち、

誰かに親切にする→いいねをもらえる→誰かに親切にしてもらった→いいねをあげる 

いいね欲しさに親切にするのはおかしいでしょうし、数値化されるとその数値が妥当か?という計測の問題にもなるでしょう。

それらは決して些末な問題ではありませんが、価値主義経済が生まれるというのはこういう事だと考えています。

「いい話」でこういうものがあります。

外国で財布もパスポートもない状態で非常に困っていた。見ず知らずの外国人に助けてもらった。ありがたい。しかし、お礼に何か渡そうとしたが何もない。困った私は謝った。そうするとこういわれた「別に構わない。日本でこの国の人が困っていたら助けてやってくれ」

ありがとう、が回っていく。現代の価値主義経済の一つだと思います。

 

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次に、経済の創出と拡張性について書きます。

 

まずは、経済の中の資本主義経済の話です。

「経済は二人以上でないと成り立たない」と考えている点は説明しました。

二人いれば、成立することはするのですが、パン屋の例でいうと私が100円のパンを買うためにそのパン屋で働いて100円を稼いでいるような、そんな超絶「内輪」なイメージは想像できると思います。

1)その経済圏のみで回っていくためには、ある程度の人数が必要です。

2)その経済圏のみで回らなくてもいい場合、回らないけれど経済圏を残したい場合には、経済圏のだれかが外貨を稼ぐ必要があります。

 

1)については鎖国時代の日本を考えていただけるとわかりやすい。衣食住、ゆりかごから墓場まで。日本という国の中だけで(色々ありましたがどうにかこうにか)回ってきたわけです。逆に言えば「衣食住、ゆりかごから墓場まで」揃えられない経済圏は成立しないことになります。

2)鎖国時代の日本も貿易をしていたし外国の脅威にさらされていたわけですから本来はこちらになるでしょうか。もっと極端にマクロ経済学自由貿易を徹底した国々を考える方がわかりやすいですね。農業に特化した国と工業に特化した国、お互い自国が得意なものを作っているので全体最適化が図られています。工業に特化した国はそれだけですと食事をとれないので生活が成り立ちません。工業製品が農業に特化した国のニーズを満たしている間は良いのですが、そうでなくなれば外貨(農業に特化した国で使えるお金、農産物を買えるお金)を稼がなくてはいけません。

 

それを前提に、価値主義経済を具体的に考えていきます。

 

現代の価値主義経済はどのようなものがあるでしょうか?

芸能人のファンクラブなどはそれに近いのかもしれません。美術品・骨董品はどうでしょう?盆栽なども入るでしょうか。

その道の人でなければ、価値がわからないもので相当程度の経済参加者がいれば成り立つように思えます。

子供が好きな○○カードなんてものもそれにあたると考えます。

レアカード・あたりカードを持っていると、きっとカードゲームで強いのですね。コレクションにもなります。だから、それを持っている人は羨望を集め、他のカードと交換する場合、1:1で交換なんてことはしないわけです。雑魚カード相手だと取引自体が成立しないでしょう。その場合「宿題を手伝ってやるからカードを交換してくれ」なんていう取引も行われるかもしれません。それを見て大人は首をかしげるわけです。そのレアカードの価値がわからないから。

いかがです?経済圏外から見ると価値を実感できないことが納得いただけると思います。

好きなものに対して、他の方だとわからない価値を見出すことで価値主義経済は創出されるようです。

 

無論、それだけでは価値主義経済が運用可能なレベルで成立したとは言えません。

経済が成り立っていないからです。

私と誰かが二人で、そこらに落ちている石に価値を見出したとして、それだけでは経済が成り立ちません。それ相応に規模が必要です。

ここで出てくるのが技術です。

インターネットがない時代を想像してください。

そこで、例えばドイツのマイナーなバンドが好きな人がいたとして、地方だけでその専門CDショップが成立するでしょうか?

多分しないのですね。

それはビジネスが成立するには損益分岐点があり、その最低ラインは割合でなく絶対値で測られるからです。それは店主の生活費であったり運用コスト(家賃とか)だったりします。

一方で、東京だとどうでしょう?

可能性は、あります。

なぜなら、人が多いからです。人が密集しており地理的な距離が少ないからです。

上記のバンドが好きな人の割合が0.1%として、100万人都市では1000人でも1000万人都市では10000人になります。その人たちがお金を使ってくれる度合いにもよりますが、ニッチなビジネスが100万人都市より1000万人都市で成立しやすいことはご理解いただけると思います。

そして、インターネットが成立すると、多くの場所との移動コストが大幅に低減されます。東京に店を出して東京の人を顧客としていた人が、ネット通販を使ってビジネスを行えるようになりました。ファン同士の交流もできるようになりました。

これにより、任意の価値主義経済は参入する個人を獲得しやすくなり拡張しやすくなりました。今まで成立しなかった経済も成立しやすくなった、といえます。

 

また

経済はネットワーク効果というものがあり、参加者が多いほど強くなります。

ネットワーク効果については電話が好例です。お互い、かけたりかけられたりするものだから、参加者が多いと電話はより便利になります。経済も同じです。

現実世界の経済活動、例えば広告・マスメディアがインターネットに移行し、かつ、個人に即した情報がリーチするようになった現状を思い起こして下さい。まさに細分化された価値主義経済が成立しつつあるといえませんでしょうか?

 

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ここまでで、価値主義経済のイメージを語り、それが作りやすくなった現在について書きました。

さらに経済はネットワーク効果により拡張する点も書きました。

 

となると、参加者が多くなった場合、価値の算定・バリュエーションが行われます。

AさんとBさんでは、なんとなく強いカード1枚に対して普通カード2枚、弱いカードだと3枚としていたけれど、

参加者が膨大になるにつれ価値算定基準が膨大になり、おそらくそれぞれのカード自体に価値が違ってくるはずなのですね。

(この価値算定はそれを行う人の価値観で行われます。民主主義的に行われるのであれば参加者の価値観に依るでしょうし、トップダウンで行われる独裁体制ではその権力者の価値観に依ります。その価値観に合わない個人は退出するでしょう。)

 

そうなると、一つのモノサシが必要になります。

 

そのカード価値主義経済では、物差しは何になるでしょうか?

誰もが欲しがる汎用性の高いカード?一番強いカード?

カード価値主義経済でカードをモノサシにしてしまうと、別の新しいカードが出た場合、序列が崩れてしまう場合があります。

法定通貨(円やドル)とすると、せっかくインターネットで全世界から参加者を募ったのに、ぶち壊しです。米ドルで生活する人にとって、円での価値基準は不安定だからです。他の値動きが激しい通貨で生活している人にとってはより深刻です。為替レートの変動であるカードは昨日までランチ1食分だったのに今日は夕飯2食分になる恐れがあります。

 

ここに、私は仮想通貨の意義を見出します。

 

二重支払いを防止し所有権を確定し、ブロックチェーンを使い改ざんを防止し、多数のノードに依る運用で落ちないネットワークを提供し、インターネット上のお金として1円未満、1セント未満の価値にまで値付けができる。

 

地方の自治体が独自通貨を作る事にシニカルな笑いを向ける方もいらっしゃいます。

それは観光産業向け、というだけでなく、価値主義経済という点から考えるとそれなりに意義はあったりするように思います。

 

県民性なんて言葉があるように、○○市と□□市では価値観が違うこともあるでしょう。

この辺りは極度に現在の資本主義に近いところにあるので、私は具体的なイメージができないでいます。

が、だからこそ、いろいろとやってみるのは良いことだと思います。

 

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最後に具体例を書いて終わります。

 

上記、 地方の自治体が独自通貨を作ったり、芸能人が独自通貨を作るとどうなるか?

そこでしか手に入らないものが手に入るのであれば、非常に意義があります。

昔、とんねるずがやっているテレビ番組で、芸能人の何かをオークション形式で落札するというものがありました。ミュージシャンが目の前で歌ってくる権利をスタジオで落札したりするのですね。それはファンにとってたまらないことは想像に難くありません。

それを仮想通貨にして実現したのがVALUさんです。

 

日本だけで考えていると、単位BTCを使っている意味が分かりませんが、世界で使われることを目指すサービスであればBTCを使う意義はあったように思います。

 

ビットコイン(BTC)が投資の時期を経て、法定通貨と関りが深くなりました。

1BTCは1BTCでなく、1BTCだからおおよそ〇万円、と感じるようになったのですね。

 

私の考える価値主義経済では、単位はその単位として認識されるものでなくてはなりません。メインはその価値主義経済で循環すべきものだからです。

だから、今、地方の自治体が独自通貨を作ったり、芸能人が独自通貨を作る事には意味があるように思います。

 

また、それぞれの切り口があっていいと思うのですね。

例えば奈良県コインを作るのでなく、日本の古都探索コインを作る。それによって日本の古都探索に興味がある人の間でそれらが流通する。

例えば日本野球コインを作るのでなく、玄人好みのいぶし銀プレー大好きコインを作る。

 

マーケターが分析をする軸でセンスが分かれるように、どういう視点の価値主義経済を作るかでセンスは出てくるように思います。

 

今後も、日本人は、多様な価値主義経済に参入したり退出したりを繰り返すと思います。

今までも、男の子は遊び道具(ゲームやカード)価値主義経済に参入し退出し、JPOP価値主義経済に参入し退出し、洋楽価値主義経済に参入し退出し・・・なんてことをしてきたわけです。

より明示的にそれらが起こり、自分が選択した経済圏の中で、没頭するようになるかもしれません。

今後も、日本人は、多様な価値主義経済に同時並行で参入するように思います。

時間などの資源の制限が許す限り、プロ野球が好きで、盆栽が好きで、ランニングが好きな人はそれぞれのコミュニティに入ればいいのですね。そしてどのコミュニティにどれだけ労力をかけるかもその人の価値観・判断で違ってきます。

 

他の情報源に踊らされて、何かの経済圏に参入するよう情報操作されるかもしれません。(人ってそんなに強くないですよね?)

となると、自分の価値観をしっかり持つ、ということが重要な価値を持つように思います。

 

 私がアフィリエイターなら、最後の最後。ここで

「自分の意思をしっかり持ちたい人は、こちら。自己分析セミナーへようこそ!」

 なんて広告を張るんですけどね。

 

固定観念に縛られないよう、常に多様な価値観を見定めつつ、自分の価値観を再構築していくとよいのかなぁ、と思います。

現在の価値観を強化する仕組みがある事で、他のより良いものを見逃すのはもったいないことだと思うからです。

 

 ではでは。

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