ドラゴンボールという漫画がありまして。
主人公と敵が戦う話です。少年漫画でありがちですね。
その中に「戦闘力」という概念が出てきます。
相手の強さを数値化したものです。
こういう概念は、適当に使うと非常に怖い。誤用されるからです。
まずは、数値の魔力について書きます。
数字はそれだけで明確な判断材料となります。外資系企業なんかはやたら数値化にこだわりますね。なぜかというと日本人の集団のような「わかるよね?」が通じないからです。いろんな国のいろんな常識が絡み合う場所で「わかるよね?」が通じません。本来であれば日本人の集団でも常識は違うのですが、そこでは常識をくみ取り、そこに則るのが美徳とされるようです。
判断材料になるという事は、比較も容易だという事です。
昨日の数字と今日の数字を比べて何が違うのかを検証する。
私の考えではこれは健全な使い方です。誰かと誰かを比較するときに問題が起こる場合が多い。
数値が600のA君と580のB君であればA君の方が良いですか?
多くの人がお気づきの通り、これは、マズい。
企業の採用活動などを見るとわかるように、数値化できるものが全てではないのです。数値化できないものが存在する。数値化できないものがないことの証明はできるとしても相当難しいはずです。排反を取って、要素全てが数値化できることを証明しなければなりません。だから、数値化できないものがある事を前提とした方がいいようです。
「じゃぁ、何も判断できないじゃないか!」というのはごもっとも。
だから、ざっくり、「こういう要素が必要で、ここまでは数値化できるからできる事なら数字で客観的に判断したい。できないものの中で重要な要素を調べるにはこうすればよい」と、判断すればいいと思うのです。
数値化するのが無意味だとは思いません。数字は、客観的ですし常識を必要としない共通言語です。数字化できないものに注意を払う必要があるようです。
先ほどのA君B君の例であれば、彼らの数値を比較する以前に、もっと前段階の「彼らはなぜ比較されているのか」を明確にする必要があります。
それは、会社の採用活動かもしれませんし、異性からの評判なのかもしれないのです。
異性としての魅力を決めるとき、多分、数値化できない部分で決まるんじゃないかなぁ?と思うのです。
まとめます。
何らかの判断を行うのに数値化するのは客観性が高まるので非常に重要。
しかし、その数値化過程におけるミスや意図の介入は生じうるし、そもそもの比較材料として重要な要素が全て数値になるとは限らない。
次に、数字の一元化の怖さを書きます。
野球選手はいろいろな観点から数値化されます。その中の一つに長打率があります。
子供「長打率って長打を打った割合じゃないんですか?」
— 後藤和智@夏コミ3日目-プ15b/ガタケット参加予定 (@kazugoto) August 4, 2018
野球に詳しい数学者「長打率っていうのは、塁打数、つまりヒットによって進んだ塁の数を打数で割った値を言います」
子供「じゃあなんで長打率って言うんですか?」
数学者「……わかるよ、その気持ち……」#夏休み子どもプロ野球電話相談
長打率と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
多分ですが上記の子供のような意見をお持ちだと思うのです。ネーミングとそれに伴うイメージの重要性を痛感します。
なので、長打率について説明します。
記録の計算方法 | 野球の記録について | NPB.jp 日本野球機構
一応オフィシャルなところを貼ってみましたが、わかります?
私なりの説明も書いておきます。
AさんとBさんで8打数、打数は同じです。
Aさんは安打製造機タイプです。4つ一塁打を打ちました、なので打率0.500!すごい!
Bさんはホームランバッターです。1打数だけホームランを打ちました。なので打率は0.125!「当たればすごいんだけれど」といったところです。
では、それぞれの長打率はどうなるでしょう?
実はどちらも0.500になるんです。
Aさんの場合は。安打が4つ÷8打数=0.500
Bさんの場合は。ホームランなので4つ進んだ÷8打数=0.500
どうです?どちらも同じです。
だから、長打率という観点で見ると、AさんもBさんも同じ数字です。
「ウチは長打率0.500の選手が欲しいな」と言えば、どちらの選手が来るかわかりません。
ですが、打率で見れば明らかなようにAさんとBさんには違いがあります。
まとめます
数字はその意味を理解しないと、多分使い方を間違える。
同じ数値が出ても、他の観点から分析することも必要。
数字を一元化すると見やすくなるが、それは別の観点が消えてしまう事を意味する。
最後に、戦闘力の話に戻ります。
Aさんは戦闘力600。
Bさんは戦闘力580。
ここで何が必要なのかというと、単なる数値の比較ではなく、その意味を知る事。
数字を因数分解してみる事。(例えば、スピード×パワー×技術×経験、とか)
数値化できていない部分があることを忘れない事。
これらが大事なように思います。
同じように「要するに」とか「まとめると」というのも気を付けるべきものです。
それなりに日本語が達者であれば、短くできるのであれば短くするわけです。
要約したり、まとめるというのは、ポイントを絞って説明するという事で、それはその話題に知悉する人がやるべきことです。
さらに悪いことに、まとめにはその人の感情が入ります。私の仮想通貨ニュースだって、ニュースのチョイスや掲載順によって印象が変わる人はいるはずなのです。
そして理論。
学者の方は多くの目に晒されているので感情や偏りは軽減されています。しかし理論はその対象のまとめであり、だからこそ意味があるし、だからこそ出来ていない部分があります。
こちらの著者は、理論の怖さを作品で表現してくださっています。
わかっている方はわかっているけれど、わかっていない方はわかっていない話です。
今回の話は、「アレの事だろ?」とおっしゃる方がいるかもしれません。
そうです、そのことです。多分、あってます。
適当に深読みしてください。
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